1. 全国「鹿島」地名の都道府県別の分布
表2.全国「鹿島」地名の都道府県別の分布
県番号 |
都道府県 |
地名数 |
県番号 |
都道府県 |
地名数 |
1 |
北海道 |
0
|
25 |
滋賀 |
6 |
2 |
青森 |
5
|
26 |
京都 |
2 |
3 |
岩手 |
4
|
27 |
大阪 |
1 |
4 |
宮城 |
81
|
28 |
兵庫 |
4 |
5 |
秋田 |
1
|
29 |
奈良 |
0 |
6 |
山形 |
12
|
30 |
和歌山 |
3 |
7 |
福島 |
73
|
31 |
鳥取 |
0 |
8 |
茨城 |
223
|
32 |
島根 |
4 |
9 |
栃木 |
57
|
33 |
岡山 |
2 |
10 |
群馬 |
29
|
34 |
広島 |
10 |
11 |
埼玉 |
11
|
35 |
山口 |
2 |
12 |
千葉 |
42
|
36 |
徳島 |
3 |
13 |
東京 |
2
|
37 |
香川 |
2 |
14 |
神奈川 |
8
|
38 |
愛媛 |
6 |
15 |
新潟 |
1
|
39 |
高知 |
10 |
16 |
富山 |
2
|
40 |
福岡 |
2 |
17 |
石川 |
13
|
41 |
佐賀 |
7 |
18 |
福井 |
0
|
42 |
長崎 |
6 |
19 |
山梨 |
2
|
43 |
熊本 |
4 |
20 |
長野 |
10
|
44 |
大分 |
0 |
21 |
岐阜 |
1
|
45 |
宮崎 |
0 |
22 |
静岡 |
13
|
46 |
鹿児島 |
2 |
23 |
愛知 |
6
|
47 |
沖縄 |
0 |
24 |
三重 |
5
|
合 計 |
677 |
表2は、表1「全国『鹿島』地名一覧」を、都道府県別に単純に数値化して示したものです。大字、小字、郡郷名、国名など、すべてそれぞれ1地名は一つとして数えて示しました。その結果、「鹿島」地名の全国的な傾向がはっきりしました。
「鹿島」地名の677地名は、ほぼ全国にわたっていると言って良いかもしれません。しかし、ない、もしくは今のところ見つかっていない都道府県もいくつかあります。北海道、福井県、奈良県、鳥取県、大分県、宮崎県、沖縄県です。
北海道にも夕張市の「鹿島沢」のように捨てがたい地名があり、いろいろと検討しましたが、近代以前に古く遡りそうな根拠が見つからないので省きました。いずれにせよこれらの県に「鹿島」地名が見つからない理由は今のところ思いつきませんので、今後これらの道県からも見つかる可能性はあるのではないかと思っています。特に、奈良県など小字一覧がなかった府県は、小字の拾い集めは十分ではありません。今後の課題の一つでしょう。
表2にはっきり表れているように、実は、全国の分布にはきわめて大きな偏りがあります。中部地方と近畿地方のところで東西日本を分けますと、東日本が596、西日本が81となり、東西日本は数の上では大変大きな差があることになります。圧倒的に東日本が多く、西日本が少ないのです。
「鹿島」地名数の最も多い都道府県は、すでに述べましたように東日本の中でも茨城県で223です。当然、鹿島信仰の本拠地ですから、ここだけが3桁の、まさにケタ違いの地名数であると言えます。ただし後に示しますが、だからといって鹿島神宮の周辺や、旧鹿島郡の範囲に多いかというと、それほどでもないのです。茨城県の中での分布は、調べてみると思いがけない特徴になっていますが、このことは後述することにします。
次に多いのは、宮城県の81、ついで福島県の73です。これも鹿島の神が征夷の神として北上したと言われている通りで、これらの県が多いのは当たり前と言えば当たり前かもしれません。しかし、これも後に示しますが、それぞれの県内の分布を見てみますと、従来言われてきたこととはいささかずれて異なる地名の分布を示しているように思われます。
次に地名数の多いのは、栃木県57、千葉県42、群馬県29です。これらの県は、茨城県の隣県なので鹿島信仰の広がりを示すものであろうと思われます。
さらに二ケタあるのは、静岡県・石川県の13、山形県の12、埼玉県の11、長野県・広島県・高知県の10です。特に、静岡県には富士市に「賀嶋」、石川県には能登に「鹿嶋津」「鹿嶋郷」「鹿嶋根」の古代地名があるので注目されるところです。なお、すでに述べましたが、静岡県は、富士市の近世の「加島」を冠する29ヶ村を数えれば42となって、群馬県を抜き千葉県と並びます。
逆に地名数の少ない都道府県は、東北では青森県、岩手県、秋田県です。関東では東京都、神奈川県、その隣の山梨県です。北陸は、新潟県の小字の調査ができていないので、もう少し出るかもしれませんが、富山県は少ない。そして、そこから西、特に近畿以西の西日本は地名数としてはぐんと少なくなっています。その中では、広島県と高知県の10が多いので、なぜだろうかと注目しています。
これらの地名は、いったい歴史的にいつの時点のものなのか、何を反映しているのかが問題になります。地名は、数の問題だけではなく、地名数の分布だけでは、まだ何ともいえないといえばそうかもしれません。しかし、ともかくも西日本に多くないこと、茨城県を中心に関東から福島県、宮城県と大きく分布をしていることなどは、何らかの鹿島信仰の歴史的経過を反映しているものに違いないと思われますので、この分布をていねいに検討していくほかはないと思っています。
2. 茨城県の「鹿島」地名分布
つぎに、地名数の最も多かった茨城県、それに続いた宮城県、福島県の3県について、それぞれの県内における市町村別分布を表にしてみました。
表3.茨城県の「鹿島」地名分布
|
市町村 |
地名数 |
|
市町村 |
地名数 |
1 |
北茨城市 |
1 |
23 |
土浦市 |
10 |
2 |
高萩市 |
0 |
24 |
つくば市 |
24 |
3 |
日立市 |
7 |
25 |
稲敷郡阿見町 |
2 |
4 |
久慈郡大子町 |
5 |
26 |
稲敷郡美浦町 |
0 |
5 |
常陸大宮市 |
7 |
27 |
つくばみらい |
7 |
6 |
常陸太田市 |
6 |
28 |
牛久市 |
3 |
7 |
那珂市 |
4 |
29 |
龍ヶ崎市 |
1 |
8 |
那珂郡東海村 |
0 |
30 |
稲敷市 |
5 |
9 |
ひたちなか市 |
4 |
31 |
守谷市 |
1 |
10 |
水戸市 |
6 |
32 |
取手市 |
5 |
11 |
東茨城郡大洗町 |
2 |
33 |
北相馬郡利根 |
0 |
12 |
東茨城郡茨城町 |
4 |
34 |
稲敷郡河内町 |
0 |
13 |
東茨城郡城里町 |
8 |
35 |
桜川市 |
5 |
14 |
笠間市 |
2 |
36 |
筑西市 |
6 |
15 |
小美玉市 |
8 |
37 |
結城市 |
1 |
16 |
鉾田市 |
6 |
38 |
古河市 |
2 |
17 |
行方市 |
1 |
39 |
下妻市 |
5 |
18 |
潮来市 |
2 |
40 |
結城郡八千代 |
5 |
19 |
鹿嶋市 |
11 |
41 |
常総市 |
8 |
20 |
神栖市 |
3 |
42 |
板東市 |
2 |
21 |
石岡市 |
27 |
43 |
猿島郡五霞町 |
0 |
22 |
かすみがうら市 |
13 |
44 |
猿島郡境町 |
4 |
合 計 223 |
表3は、茨城県の「鹿島」地名の市町村別の分布です。
茨城県は地名数も多いので、 全部の市町村を表にしています。 これを見ますと、地名はほとんどすべての市町村に あると言っても良いほどですが、0のところもないわけではありません。市町村の大きさも考慮に入れなければならないと思いますが、分布のばらつきはけっこう大きいのではないかという印象です。(1)
二ケタある地域は、鹿嶋市11、石岡市27、かすみがうら市13、土浦市10、つくば市24です。一ケタでも多いのは、城里町、小美玉市、常総市の8です。
意外ですが、鹿嶋市とその周辺、鉾田市、行方市などはさほど多くありません。多いのは、霞ヶ浦をはさんだ鹿嶋市の対岸ともいえる小美玉市・石岡市から土浦市・つくば市などの地域です。石岡市が一番多いのですが、その石岡市も旧八郷町地域が23とほとんどを占めています。筑波山の東側、あるいは東南麓の地域に分布が多いといった方がよいのではないかと思います。
石岡市は古代常陸国の国府所在地です。「鹿島」地名の集中域の近くの、しかし真ん中の空白域といってもいい所に国府がおかれたような趣がします。
これらの地名が古代からの地名とは簡単にいえませんが、この地名の分布の傾向は大変興味深いものがあります。ちなみに、古代では、茨城郡域に集中しているのです。集計してみると55地名で、茨城県の4分の1を占めています。(2) また、逆に古代の行方郡などが極端に少ないのです。行方郡は『常陸国風土記』に「香島神子之社」が記されている地域です。(3) したがって、鹿島信仰の強い地域ではないかと思われるのですが、なぜか鹿島地名はほとんどありません。行方市と潮来市の3カ所だけです。
なお、全体に鹿島神社の存在が確認できない地名が割合多いのも、思いがけない特徴でした。(4)
表4.福島県の「鹿島」地名の分布 表5.宮城県の「鹿島」地名の分布
|
市町村 |
地名数 |
|
|
市町村 |
地名数 |
|
1 |
相馬市 |
5 |
1 |
栗原市 |
8 |
2 |
南相馬市 |
3 |
2
|
大崎市古川 |
22 |
3 |
双葉郡双葉町 |
2 |
三本木 |
12 |
4 |
双葉郡楢葉町 |
1 |
松山 |
1 |
5 |
いわき市 |
3 |
鹿島台 |
3 |
6 |
伊達郡国見町 |
2 |
3 |
加美郡加美町 |
6 |
7 |
伊達郡桑折町 |
1 |
4 |
石巻市 |
4 |
8 |
福島市 |
5 |
5 |
牡鹿郡女川町 |
2 |
9 |
二本松市 |
4 |
6 |
東松島市 |
1 |
10 |
本宮市 |
1 |
|
7 |
宮城郡利府町 |
3 |
11 |
田村郡三春町 |
1 |
8 |
仙台市 |
5 |
12 |
田村郡小野町 |
2 |
9 |
名取市 |
2 |
13 |
田村市 |
2 |
10 |
亘理郡亘理町 |
3 |
14 |
郡山市 |
6 |
11 |
柴田郡柴田町 |
1 |
15 |
須賀川市 |
3 |
12 |
柴田郡大河原町 |
1 |
16 |
岩瀬郡天栄村 |
1 |
13 |
角田市 |
2 |
17 |
岩瀬郡鏡石町 |
3 |
14 |
白石市 |
5 |
18 |
白河市 |
5 |
|
合 計 |
81 |
19 |
喜多方市 |
5 |
|
|
20 |
耶麻郡猪苗代町 |
7 |
21 |
河沼郡西会津町 |
2 |
22 |
河沼郡柳津町 |
1 |
23 |
大沼郡会津美里町 |
6 |
24 |
会津若松市 |
1 |
25 |
南会津郡南会津町 |
1 |
|
合 計 |
72 |
3. 福島県の「鹿島」地名の分布
次に福島県を見ます。表4です。この表では、「鹿島」地名のない市町村は除いて、地名のある市町村だけの表にしてあります。
福島県の市町村数は、現在50であり、この表にはその半数の25が「鹿島」地名のあるところとして載せてあります。「鹿島」地名は合計72で、茨城県、宮城県に次いで3番目に多い県です。この後が栃木県の57ですから、やや差があるといえます。
福島県は大きく浜通り、中通り、会津地方に分かれますが、この表の1~5は浜通り、6~18は中通り、19~25は会津地方です。この表ではっきりわかりますが、分布は中通りや会津地方に大きく広がっています。浜通り14、中通り35
、会津23です。この数字に表れていますように、海岸沿いよりも内陸側に分布していることが大きな特徴となります。
従来、貞観8年の鹿島苗裔神が海岸沿いに北上したと言われていましたが(5)、「鹿島」地名の分布では全く違っていました。地名では、主として中通りを北上しているように思われ、会津地方の山地の方にも興味深い分布が見られます。そうした意味では、この福島県の地名分布が何らかの鹿島信仰の歴史的経過を示すものならば、鹿島の苗裔神の分布で論じていたこととは異なる経過を見いだすカギになるかもしれないと思われます。
4.宮城県の「鹿島」地名の分布
さらに、宮城県を見てみます。
この表5でも、「鹿島」地名のない市町村は除いて、ある市町村だけの表となっています。宮城県は現在35市町村ですが、地名は14市町村に分布しています。
宮城県の「鹿島」地名は合計81で、茨城県に次いで2番目に多いところとなります。その分布の特徴は、この表によって一目でわかりますが、半数近い38が大崎市に集中していることです。特に、古川地区が22、三本木地区が12とこの2カ所に集中しています。
この古川、三本木地区は、古代は志太郡と言われているところです。
他に地名は、栗原市8、加美郡加美町6が上の隣接地域として多いといえます。ここは、古代は栗原郡、加美郡でした。いわゆる「奥十郡」と呼ばれた地域のうちです。(6)
これは単純に考えると、古代に常陸国からの移住者が多かったところのはずですから、「鹿島」地名が多く残ったものと考えられてよいわけです。特に、古代の志太郡および志太郡信太郷、玉造郡信太郷は、常陸国にも信太郡があり、そこからの移住が地名として残ったと言われています。
ところが、どうもそう単純にはいきません。玉造郡の信太郷の方は、玉造郡全体に「鹿島」地名自体がないのです。
「鹿島」地名の分布は、単純にそうしたことを示しているとは言えないものがあるような気がします。(7)
何より私が疑問を持つのは、この「鹿島」地名が鹿島神社を必ずしも伴っていないことです。特に、古い由緒の神社がしっかり存続してきたところが、あまりに少ないのではないかと思うのです。常陸国からの移住者が、征夷の神鹿島大神をいただいてやって来て、地名を残しながら、鹿島神社があまりに存続していない・・・とするならば、その歴史とはいったい何だろうかと思うのです。(8)
5. まとめ
以上、全国677地名を集めて、いくつかの分布表にまとめたことからわかってきたことを報告しました。
その結果、数の上では西日本が少なく、東日本がケタ違いに多いこと、茨城県を中心に関東から福島県、宮城県と大きく分布していることがわかりました。これらは従来からわかっていたことかもしれませんが、それに次いで多かった千葉県、群馬県、栃木県の分布は興味深いものを示していると思います。
また、茨城県内の分布では、古代茨城郡の地域に最も多く地名が残っていました。福島県内の分布では、海岸沿いの地域よりは内陸側に多く分布していました。宮城県内の分布では、大崎市の古川、三本木地域に地名が集中していました。
そして、これらの地名が、なぜか古い由緒を持つ鹿島神社とうまく重ならないことがはっきりしています。むしろ鹿島神社のない地名がわりあい多いという特徴がわかってきました。この問題については、地名のさらなる分析とともに、鹿島神社の分布の検討も必要となっています。
次なる課題として、調査を進める必要があります。
註
(1) 地名分布の特徴を確認するために、千葉県、埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県、福島県、宮城県についてはとりあえず大ざっぱに地図上への記入は行ってみています。しかし、現状では、小字の正確な位置が確認できないところが多いため、大字レベルで判断していて、正確な分布地図になりえていません。個々の地名の確認をする中で、分布地図の完成を期したいと思っています。
(2)「古代の茨城郡の領域は、岩間町、友部町南部、茨城町南部、小川町、美野里町、石岡市、八郷町、千代田町、霞ヶ浦町、玉里村、土浦市北部、玉造町北西部を含むものと推定される。」(『古代地名大辞典』角川書店) 現在の、笠間市、小美玉市、茨城町南部、石岡市、かすみがうら市、土浦市北部、行方市の一部、鉾田市の一部などです。
(3)古代の行方郡の領域は、「ほぼ現在の行方郡域にあたり、玉造町の北西部を除き、鉾田町の南西部を含む地域に比定される。」(『古代地名大辞典』角川書店) 『常陸風土記』行方郡の条は、省略がないといい、ここに「香島神子之社」は3カ所出てきます。「提賀里」「当麻郷」「田里」ですが、地名の3カ所は、行方市西蓮寺の1か所と潮来市の2か所でここからは全く外れています。
(4) 表1で、鹿島神社、ないしは別名の神社で武甕槌命を祀っている神社があるところを今の段階で数えてみますと、茨城県でも76カ所しかありません。半分もない状態です。鹿島神社の由緒、摂末社、地域史等なお検討を要するのですが、私は、この神社と地名のずれているところに鹿島信仰の問題があるのではないかと考えています。
(5)『三代実録』「貞観八年正月二十日」条に「大神之苗裔神卅八社」が陸奥国の郡別に数をあげて出ていますが、『国史大辞典』(吉川弘文館)の「鹿島御児神社」は「それらは海岸伝いに北上し、今の石巻市に及んでおり、大和朝廷の勢力の北進の跡を示している。」と言います。『茨城県史 原始古代編』は、「これらの諸郡は、いずれも太平洋岸に属している。これは海道方面の蝦夷征討に、鹿島神が必要とされたことを物語るばかりでなく、鹿島神の性格が海、もしくは海沿いの地と関係があったことを示している。」と述べています。さらに、『【特別展】鹿島信仰 -常陸から発信された文化-』(茨城県立歴史館 平成16年2月)は、「全国各地の鹿島神社の所在地861地点から、『市・町・字名にカシマが含まれている』地域を選び出すと、東北地方の太平洋岸地域である宮城・福島両県に多いことがわかる。」この地域こそ「大神之苗裔神卅八社」の記された地域であり、「つまり、奈良・平安時代に関東・東北の征討と開発の守り神的存在であった鹿島神宮の分霊社が38社もつくられた地域なのである。その地域に『カシマ』の地名が多く存在することは、古代に創建された鹿島神社の存在が、地名にまで強い影響を及ぼしたと考えて間違いないであろう。」と述べています。
(6)『続日本紀』に黒川郡以北の「牡鹿・小田・新田・長岡・志太・玉造・富田・色麻・賀美」の十郡を特に「奥十郡」としています。この内志太郡は、旧古川市と三本木町にあてられ、三本木町が信太郷の地とされています。玉造郡の信太郷は、岩出山町真山付近と推定されています(『古代地名大辞典』)。
(7)『古代地名大辞典』の玉造郡信太郷の説明中には、吉田東伍『大日本地名辞書』にもとづき「志太郡とともに常陸国信太郡あたりからの植民に基づく命名かとされ」とあります。吉田は、志太郡信太郷の項でも同様に述べています。しかしこの「鹿島」地名とのずれについては、今後地名と神社の伝承をもう少していねいに見直す必要があります。
(8) 註(4)と同様に宮城県・福島県を数えると、宮城県は37カ所、福島県は27カ所でやはり半分もない状態です。ちなみに「全国香取鹿島神社一覧表」(『香取鹿島に関する史的研究』 国立歴史民俗博物館 平成六年)も参考にしました。しかし、この一覧表では摂末社まであげていますが、小字名が不明なので地名と対応する神社はもっと少なくなります。また、たとえば青森県は鹿島神社が6社あがっていますが、そのうち4社が明らかに近世は毘沙門堂であって、明治に入って改称していることが地名辞典等で明らかです。歴史的研究の資料としては、由緒等のさらなる検討と武甕槌命を祀る別名の神社の検討も無視できないと思われますので、さらに調査検討の必要な資料と考えています。