茨城県鹿嶋市の鹿島神宮を中心とする鹿島信仰について、それが本来どのようなものであったかを明らかにしたいというのが、この調査の目的です。
手近な辞書『大辞林 第三版』によると、鹿島信仰についてこう書かれています。
「鹿島神宮への崇敬およびそこから派生したとされる信仰。武神信仰、障(さえ)の神信仰、疫神信仰、男女の相性を占う常陸帯神事、吉凶を占う鹿島の事触れなど信仰形態は多岐にわたる。また、境内にある要石(かなめいし)伝説にもとづく地震封じ信仰も有名。」
とあって、
「かしま(鹿島)」の項は、地名・神社の他に、「鹿島踊り」「鹿島立ち」「鹿島流し」「鹿島鳥居」「鹿島の帯」などの項目もあげられています。実に、鹿島信仰が多岐にわたる信仰形態をもつことを示しているのです。
鹿島信仰といえば一般には「武神信仰」が有名ですが、おもしろいことに、その一方で「常陸帯」「鹿島の帯」のような「男女の相性を占う」信仰、あるいは安産信仰があります。
私は、鹿島信仰というのは後者に関連したものが本来であって、歴史の中で大きくねじ曲げられてきた経過があるのではないかと考えていますが・・・。
ここでは、そのような鹿島信仰を明らかにする第一歩として、まずは「鹿島」「加島」「かしま」などの地名を全国にわたって小字まで拾い集めて、六七七地名を集めてみました。その内容を報告します。
(写真は、千葉県佐倉市佐倉城跡の西門付近。佐倉城は鹿島山・鹿島城とも言われていました。)