古社の秘密を探る

全国「鹿島」地名一覧について
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 「表1 全国『鹿島』地名一覧」(1)は、大字、小字、郡郷名、国名などレベルの違う地名をすべて、とりあえず都道府県別に列挙しています。
 
 左から、通し番号、都道府県、地名、所在地、備考の順になっています。備考欄には、参考までに、地名の別な表記(用字)があればその表記や、鹿島神社などが確認できたところは神社名などを書きました(2)。なお、以下の文中の地名に附した番号は、この通し番号です。
 
 この一覧表の特徴の一つは、『角川日本地名大辞典』(角川書店)のシリーズの各巻にある「小字一覧」などから小字を丹念に拾い集めたことです。そのため、ほとんどが小字などの小さい地名で、小字でないものは全677地名のうち36地名だけ、0.05パーセントほどしかありません。大変驚きました。
 
 もう一つの特徴は、新しい地名、特に近代以降に新たにつけられた地名を、できる限り取り除いたことです。言うまでもないことですが、目的が、本来の、古代にまで遡る鹿島信仰の本質を明らかにしたいということですから、そのような歴史的研究において、歴史的な由緒のない新しい地名を含めて取り上げ、あれこれ述べるのは適切とは言えないからです(3)。
 
 例えば茨城県。
 鹿島信仰の中心鹿島神宮のある茨城県の「鹿島」地名は、最も地名数の多い223地名になりましたが、このうち201地名は『角川日本地名大辞典8 茨城県』の「小字一覧」からの地名です。その他の13地名も小字などの小さい地名で、大字より大きな地名はわずかに9地名だけになります。「203鹿島郷(東茨城郡)」「211鹿島(那珂市)」「318今鹿島(つくば市)」「393鹿島郷(鹿嶋市)」「394鹿島郡」「395香島国」「396鹿島城」「397鹿島の崎」「398鹿島灘」の9地名です。
 
 『角川日本地名大辞典8 茨城県』では、「今鹿島(豊里町)」を含めて22項目の「鹿島」項目をあげていますが、神社名と近代以降の新しい地名を除くと、7項目だけになります。
 
 「鹿島(鹿島町)」は明治22年の成立で、平成7年に鹿嶋市になっています。いずれも近代以降の地名ですので、ここでは小項目の「(古代)鹿島郷」を採り、「393鹿島郷」としました。
 
 「鹿島郡北条」と「鹿島郡南条」は、「鹿島郡」が中世に分割されたものというので「394鹿島郡」の地名一つに代表させました。
 
 「鹿島(瓜連町・那珂町)」は、天保期に鹿島村が成立し、その後大字として二つの町に分かれたものですが、現在は那珂市の一つの大字になっています。しかし、ここには「鹿島遺跡」や「鹿島古墳」もあって小字「鹿島」もあるようなので、とりあえず二万五千分の一地形図で確認した3地名「211鹿島」「212鹿島圷」「213鹿島台」をあげています。要検討ということです。
 
 「鹿島郷⇒広島郷」も同様ですが、『角川日本地名大辞典』では鹿ノ子C遺跡出土漆紙文書などを根拠に「鹿島郷」を誤りとし、「広島郷」を正しいものとしています。しかし、ここでは従来の「鹿島郷」説の『新編常陸国誌』などの論拠はあながち無視できないものと思われますので、なお検討を要するものとして一覧表には掲げてあります(4)。
 
 同じように『茨城県の地名 日本歴史地名大系8』(平凡社)の方も、索引を見ますと、「今鹿島」の4項目を含め「鹿島」の項目は72項目あります。しかし、神社名と明らかな近代以降の地名、人のお墓・道路名・地形の名称で地名としては新しいと思われるものを除きますと、17項目となります。そして、「鹿島(那珂郡)」「鹿島(那珂郡)」「鹿島遺跡(那珂郡)」の現那珂市の地名は上に述べたような3地名とし、「今鹿島」関係は「今鹿島」に、「鹿島浦」と「鹿島灘」は「鹿島灘」に、「香島郡」「鹿島郡」「鹿島郡衙(鹿島郡)」は「鹿島郡」に代表させるなどして整理しますと、12項目になります。
 この内、現那珂市の地名と「308鹿島様古墳」は小字ですので、大字以上の地名としては9地名だけということになります。
 
 二番目に「鹿島」地名の多かった宮城県も見てみます。
 
 「鹿島」地名は全部で81地名ですが、そのうち「小字一覧」からのものが70地名です。それ以外もほとんど小字です。
 
 『角川日本地名大辞典4 宮城県』の「鹿島」項目は、「鹿島(亘理町)」「鹿島堰」「鹿島台(鹿島台町)」「鹿島町(仙台市)」の4項目しかありません。
 
 『宮城県の地名 日本歴史地名大系4』の索引は、神社を除くと10項目です。そのうち一覧表に採用したのは、栗原市の「12鹿嶋前」「13鹿島堀」「15鹿島堰」、大崎市の「53鹿島台(鹿島台町)」、仙台市の「73鹿島崎」「74鹿島堤」(鹿島崎堤)、それと「81鹿島(亘理町)」の7項目です。
 
 「鹿島(仙台市)」は、昭和20年頃からの町名で現在は銀杏町となったということです。ここでは小字の「72鹿島下」を採りました。「鹿島台新町」は近世の地名と思われますが、とりあえず53「鹿島台」にまとめたつもりです。「鹿島の要石」の項は地名としては扱わないという判断にしました。「要石」については他でもいくつか見受けられるので、神社の検討の中で拾ってみようと思っています。
 
 このように宮城県も、二つの地名辞典の表面的な検索では出てこない地名が小字として大量に出てきました。このことは他地域でも同様です。
 
 西日本の例も見てみます。
 高知県は、西日本の方では地名数も比較的多く、一覧表では10地名あがっています。
 
 『角川日本地名大辞典39 高知県』は「鹿島(佐賀町)」「鹿島村⇒山田(宿毛市)」「賀島村⇒平田(宿毛市)」の3項目、『高知県の地名 日本歴史地名大系40』の索引は、神社1を除くと、幡多郡旧佐賀町の「鹿島」「鹿島浦」の2項目だけでした。
 小字は高知県宿毛市ばかりですが、やはり「小字一覧」から拾った結果8地名が出てきました。
 
 ここではまだその理由はよくわかっていませんが、かなり大きな地名のまとまりがうかがえそうであり、歴史的な背景が何であるか大きな問題になるのではと思います。
 
 どの地名を採り、どの地名を除くかの判断はなかなか難しいところも多いのですが、この一覧表についてはいずれにしても小字がほとんどです。しかも、上記の辞典などを普通に検索したのでは出てこない地名が、「小字一覧」の小字を丹念に拾ったことにより大量に出てきたわけです。その結果、「鹿島」地名の分布の様相も大きく変わったのではないかと思われます。
 
 なお、『角川日本地名大辞典』では、新潟・愛知・大阪・兵庫・奈良・福岡各県の「小字一覧」はありませんでしたので、これらの府県は今のところ充分小字を集め切れていません。目下別途に調査中です。
 
 また、「鹿島」地名は、明らかな新しい地名は除いたと述べましたが、小字の中にも、近世以降の新しいものではないかと思われる地名もないわけではありません。しかし、それが近世なり近代になってから成立した地名であることがことはっきりしないうちは、とりあえず一覧には載せてあります。ここではまだあまり厳密な検討を加えないで、大まかな全国的な特徴がとらえられれば良いと考えたからです。
 
 「表1 全国『鹿島』地名一覧」を見てみますと、2~3の小字がひとかたまりになっていて、大きな地名の分割を示していると思われるところがたくさんあることに気づきます。
 
 たとえば、一覧表の冒頭の青森県つがる市稲垣町千年の「1上鹿嶋」と「2中鹿嶋」は、一つの「鹿嶋」が上と中に分割されただけと思われます。おそらく「下鹿嶋」もあったのではないでしょうか。しかし、今のところは「下鹿嶋」については不明です。
 
 宮城県大崎市古川新田の「21鹿島西」と「22鹿島前」と「23鹿島浦」は、やはり大きな「鹿島」地名が三分割されたものではないだろうかと思われます。地図を見ると、近世は鹿島神社といわれていた小松神社を、はさんで隣り合っている地名であることがわかります。
 
 このように同じ地域名の中のいくつかの小字は、おそらく本来はひとかたまりの大きな地名であったと思われるものが多いようです。
 
 千葉県野田市の9カ所の「鹿島」地名497~505は、「鹿島原」が4カ所もあるなど、現地を実踏すると野田市を大きく覆うひとつの「鹿島」地名ではなかったかと思われます。
 
 同じ千葉県佐倉市の7カ所の「鹿島」地名511~517も同じように、一つの大きな「鹿島台」の地名がうかがわれ、その西の一角に「512鹿島山」があり、ここは後に佐倉城となっています。そして、その西裾を「514鹿島川」が印旛沼に流れ込んでいます。そうした「鹿島」地名の残存が、「511鹿島郷」まで含めて7カ所になっていると思われます。
 
 このように、大字レベル以上で「鹿島」地名を検討するだけでは、小字にしか残っていない、しかし実は大きな地名かもしれないものが表面に出なくなってしまいます。今回、小字を丹念に拾い集めたので、失われた「鹿島」地名がいくつか復元できることになったともいえます。
 
 なお、つくば市上ノ室には、「309カシマネ」「315カシマ根」「316カシマ子」と「310カシマクボ」「311鹿島窪」「312カシマ窪」「313カシマクボ」「314カシマ久保」の8小字があることになっています。確かに、「かしまね」と「かしまくぼ」の同じ小字名が複数あることはわかっていますが、やはり何らか重複があるのではないかと疑われます。ここはまだ、目下調査検討中のところです。しかし、一覧では、今のところそのままにしてあります。同じような箇所はいくつかあり、現在一つずつ検討をしているところです。同じところを何通りにも表現していたり、通称まで含めると、どの地名を採り、どの地名を除くか判断の難しいところがたくさんあります。
 
 静岡県浜松市天竜区二俣町は、現在は「二俣町鹿島」と「二俣町南鹿島」で、「鹿島橋」もあります。通称は「北鹿島」、「西鹿島」で、「北鹿島」は「向鹿島」とも記され、「西鹿島駅」、「鹿島坂下」の地名も地図には記されています。吉田東伍『増補大日本地名辞書』は「天竜川を此地にては鹿島川と呼ぶ。大字鹿島あり、鹿島山に椎脇明神社在り。」といっています。社伝の中には「鹿島河原」の地名も出てくるといいます。全部で12地名が数えられましたが、「鹿島川」を挟んで大きな「鹿島」地名が在り、「鹿島山」に神社があると考えて、今は584~587の4地名にしぼっています。
 
 三重県亀山市の場合は、小字名としては、本町に「鹿島」、阿野田町に「上鹿島」「中鹿島」「下鹿島」があります。現在は、「北鹿島町」と「南鹿島町」があり、鈴鹿川にかかる「鹿島橋」もあり、バス停の「鹿島町」もあります。鈴鹿川をはさんで、対岸に阿野田町「鹿島」があります。ここも、鈴鹿川をはさんで一帯の土地であろうと思われますが、地名はとりあえず597~601の5地名としました。
 
 静岡県富士市の「578賀嶋」は、平安期の地名であり、中世も広域称として存続、近世は「加島水戸島」、「加島本市場」など「加島」を冠称する29ヶ村が成立していました。現在は「加島町」もありますが、本来富士川と潤井川の間の広い地域の名称なので、一覧表には近世の29か村を全部あげても良いくらいです。そうすると、静岡県は42地名で千葉県と並ぶ地名数となります。この「賀嶋」が、その位重要な地点であることを意識にとどめる必要はありますが、この一覧では、とりあえず古代の1地名のみにしてあります。
 
 なお、古代地名は、『古代地名大辞典』(角川書店)所載のものに、1カ所長崎県に『日本後紀』延暦24年6月甲寅の条の「鹿嶋」を偶然見つけたので付け加えました(5)。一覧表の中では( )で示されているものが、古代地名です。
 
 この長崎県の「669鹿嶋」は「しかしま」と呼ぶのかもしれませんが、「鹿島」を「しかしま」「かのしま」などと呼ぶ例も若干採っています。
 
 佐賀県白石町深浦の「664鹿島」「665鹿島籠」は「しかしま」「しかしまこもり」とよぶのですが、鹿島市の「660鹿島」と塩田川を挟んで隣り合った地域です。これは、何らか関係している地名ではないかと考え入れました。
 
 山梨県富士川町「565羽鹿島」と同県早川町「566初鹿島」は、いずれも「はじかじま」とよびます。前者は「初鹿島」とも表記しますので、地名の由緒は違った説明をしていますが、同じような地名と考えて良いと思っています。ここも「は(つ)」「しかしま」か「かしま」のどちらかだろうと思いますが、とりあえず検討を要するものとして一覧表には入れてあります。
 
 富山県砺波市の「551鹿島」は「かのしま」と呼びますが、川の川中島の地名であり、鹿に関わる伝承が関連するかもしれないと考え、とりあえず入れることにしました(6)。
 
 検討すべき事は多いのですが、ともかくもこの一覧表は、鹿島信仰の本来の姿に迫るために、小字を丹念に拾い集めようとしたことと、歴史的に新しくつけられた地名をできる限り排除したことが大きな特徴の一覧表なのです。
 
 
 
(1) 『角川日本地名大辞典』(角川書店)、『日本歴史地名大系』(平凡社)、吉田東伍『増補大日本地名辞書』 (冨山房)、『古代地名大辞典』(角川書店)、谷川健一編『日本の神々』(白水社)、式内社研究会編『式内社調査報告』(皇學館大学出版部)、八郷町教育委員会『八郷町の地名』、日本地名研究所編『川崎の地名』(川崎市)、同上『川崎地名 辞典 上』(同上)、『島嶼大事典』(日外アソシェーツ株式会社)、財団法人日本離島センター『日本の島事典』(三交社)、埼玉県神社庁『埼玉の神社』全三巻、国土地理院 発行二万五千分の一地形図、「都市地図ニューエストシリーズ」(昭文社)、「道路地図 県別マップル」(同上)、グーグルマップなど。
 
(2) 地名の表記はできるだけ引用通りにしましたが、検討する中で変更したものもあります。茨城県石岡市旧八郷町については、『角川日本地名大辞典8 茨城県』の「小字一覧」はすべてカタカナ表記でしたが、注(1)『八郷町の地名』に基づき漢字に改めました。石川県の「鹿嶋津」「鹿嶋郷」は、『和名抄』は「加島郷」、『延喜式』は「加嶋 津」、『万葉集』は「香嶋」「香嶋津」ですが、平城宮跡出土天平8年4月10日木簡が初見であり、その他の木簡も 「鹿嶋」「鹿嶋郷」と表記されていますので、このようにしました。「鹿嶋根」は、『万葉集』原文は「所聞多称」、これを「香島嶺」「香島根」などとしていますが、同様に「鹿嶋根」と判断しました。
 
(3)『【特別展】鹿島信仰 -常陸から発信された文化-』(茨城県立歴史館 平成16年2月)では、全国鹿島地名を52カ所一覧表にして掲げています。また、別に「鹿島神社 の所在地に『鹿島』が含まれる地域」の表もあり、なぜか一覧表に重ならない地名が21カ所多く掲げてあります。つまり、このパンフレットはあわせて73カ所の「鹿島」地名を検討しています。この内、注(1)の地名辞典等により、
 
 北海道夕張市鹿島(昭和17年以降の町名、町名の由来「鹿島沢」も近世に遡らない)、同伊達市鹿島町(昭和5年          以降の字名、昭和47年から町名)
 福島県いわき市鹿島町(明治22年以降は村名、昭和49年以降は町名)
 茨城県日立市鹿島町(昭和38年以降の町名)
 同県鹿嶋市(鹿島神宮鎮座によりますが、平成7年の新しい市名。一覧表では、『常陸国風土記』の地名と小字一       覧の地名を採りました)
 栃木県矢板市鹿島町(鹿島神社にちなむといいますが、昭和29年からの町名)
 東京都八王子市鹿島町(鹿島神社にちなむといいますが、昭和50年成立)
 富山県滑川市加島町(昭和27年以降の大字名)
 同県富山市鹿島町(その由来となった鹿島神社自体は古く遡るものと思われますが、明治3年以降の町名)
 石川県鹿島郡鹿島町(昭和30年以降の町名)
 福井県小浜市鹿島(明治7年以降の町名)
 岐阜県岐阜市鹿島町(昭和10年以降の町名)
 同県大垣市鹿島町(昭和13年以降の町名)
 島根県八束郡鹿島町(昭和31年町村合併の際、「秋鹿」と「島根」から1字ずつ取って名付けたもの)
 
は、いずれも近代以降の地名なので採用しませんでした。
 
 石川県七尾市石崎町香島についても、地名辞典等では確認できませんが、七尾市中央図書館が関係者に電話確認などていねいな調査をして下さった結果、この20数年の地域名であり、広報では平成元年4月に公示された地名であることが確認できました。
 
 なお、栃木県足利市鹿島町は、昭和29年からの町名。しかし、元の山下町に「鹿島」の小字名がありますので、小字「鹿島」を採っています。群馬県伊勢崎市赤堀鹿島町は、元赤堀町鹿島で昭和24年からの大字名といいます。しかし、地元では鹿島宮があったので鹿島になったといい、鹿島遺跡もありますので、「鹿島」地名をとりあえず採りました。同鹿島町も昭和45年以降の町名ですが、同じようにかっては鹿島宮をまつっていたことによるといい、鹿島宮は明治41年に上樹神社に合祀されています。経過に不審なところがありますが、ここでは「鹿島林」の小字名を採りました。
 
(4) もともとは、『和名抄』高山寺本には「広嶋」、東急本には「鹿嶋」と記されているところからの議論ですが、『新編常陸国誌』は「鹿嶋郷」の根拠を三つあげています。 1は「安居院某ガ神道集云、鹿島大明神者・・・常陸國ヘ天下リツゝ、古内山ノ舊跡鹿島里ニ顕ル・・・」とあること、2は「古内村ノ近邑スベテ鹿島神ヲ祭ル、又鹿島ト偁スル小地名アリ」として実例を挙げていること、3は『三代実録』貞観8年正月20日丁酉「常陸國鹿島神宮司言」にある「定例造営ノ材ヲ出セルヲ以テ」としていること。 
 私はさらに、中世この地が塩籠庄に属するものが多いといわれ、「塩子者本神領也」(「建長7年8月摂政太政大臣家 鷹司兼平 政所下文」『茨城県史料 中世編Ⅰ』)とあることも大きな根拠になるのではと思います。『和名 抄』の記載とは別に、「鹿嶋郷」の地名があり得ても良いのではないかと思っています。
 
(5) 『新訂増補国史大系三 日本後紀』(吉川弘文館)は注があり、「鹿島、此上或當補 血字、宜合攷書紀二九」とありますが、森田悌『全現代語訳 日本後紀(上)』(講談社学術文庫)では「甲寅 遣唐使の第二船の判官正六位上菅原朝臣清公が肥前国松浦郡の鹿島(長崎県五島列島か。あるいは長崎県北松浦郡鹿町町のあたりか)に到来し、飛駅により上奏した。」とあり、地名も近くにありますのでこれに従いました。
 
(6) 山梨県の二つの「はじかしま」については、富士川町は「地名の由来は、いわゆる洪水を受けやすいという意味をもつ『波之架島』、または水辺の地という意の『端処島』にちなむか。」とあり、早川町の方は「初鹿島は鹿島の美称とする説がある。」としています(『角川日本地名大辞典19山梨県』)。前者は昭和33年鹿島地区となり、鹿島神社もありますが、この神社は明治5年勧請の新しいものです。また、全国的には他にない地名ですが、二つはよく似た地形ですので「鹿島」地名に何らか関連があるのではないかと考えています。
  富山県砺波市の「鹿島かのしま」については、地名の由緒に「昔、庄川が通っていた頃、川中島に鹿が流れ着いたところに村立てができたので鹿島村という」「昔、社に鹿がよく群集した。ある時一匹の鹿が稲苗をくわえてきて沼の辺で死んだ。村人がこれを沼に植えたところ秋にみのり、稲の栽培を知った」(『角川日本地名大辞典16 富山県』という伝承があります。